ストーリー
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INTRODUCTIONUnknown Storyストーリー

当倶楽部の誕生秘話をご紹介します。

井上イズムが凝縮する
奇跡の18ホールズ。

昭和30年に開場した西宮カントリー倶楽部は現存する井上誠一設計コースの中で10番めに古く、多くの傑作を手がけた時期に誕生している。同じ年に開場しているのが日光カンツリー倶楽部。最高傑作に挙げられることも多い龍ケ崎カントリー倶楽部は翌年の開場だ。前年には鷹之台、その前年には大洗をものにしているのだから、まさに脂の乗り切った時期の作品といえる。にもかかわらず、他の綺羅星のような作品群に比べて人の口の端に上がることが比較的少ないのには事情があり、それが西宮カントリー倶楽部を独特の存在にしているといえるだろう。

その事情が何かといえば端的にいって立地である。候補地は交通の便は良いが、伊丹陸上自衛隊の大規模演習が行われる荒涼たる山地であり、地層は六甲特有の風化花崗岩。土質は極めてもろく、ゴルフ場建設にはとても向かない場所だったのである。しかしこのまま演習地にされるのを避けたい時の西宮市長辰馬巳一郎の想いは強く、懇請された京阪神急行電鉄社長和田薫を中心に発起人会が発足すると計画はスタート。白羽の矢を立てられた井上誠一が奇跡を起こすのである。

困難からのスタートが
後に実を結ぶ。

「私の第一印象は之は大変な仕事だということであった」と後に述べているが、候補地と対峙したときの気持ちはどのようなものであったか。芝の生育に適さない土壌に加え、与えられた全面積の中コースとして利用できる面積は地形的に局限されていること、そして使用できる地域の地形もなかなか複雑で急傾斜も多く、しかも自動車道路と仁川渓谷によって用地が判然と3つの地域に分かれていること、多くのマイナス要因を抱えて井上の奮闘が始まる。

成功の礎になったのは砂防、排水、岩石の処理、芝の育成に必要な表土の確保といった基礎工事を徹底的に行ったことで、六甲山系特有の土質や気象に精通している西宮市の建設陣が工事を担当しこれを後押しした。時間と費用を惜しまなかったこの下地作りが後に実を結ぶことになるのだが、それを見通した井上の慧眼と理解を示した和田理事長のファインプレーといえよう。「戦後誕生したゴルフクラブの中で最も風格の高いクラブとして評価されている」と井上自身が胸を張る自信作となったのは、豊かな大地を育む土壌がそこにあるからに外ならず、其の為に諦めずにトライした関係者たちの並々ならぬ努力の賜物なのである。

神々しく佇む甲山を巡る旅。

井上がこの困難地をどう料理したかというと、眺望の独特な素晴らしさを利用した。近くには地域のシンボル的な存在の甲山があり、用地の随所で眺めることができる。すなわち神々しく佇む甲山をめぐる旅としての18ホールズを企てたのである。

甲山を左手に臨みながら穏やかに1番をスタートすると、折り返した後の3番は甲山に打っていく美しいパー3でシンボルの存在をいやが上にも意識させられる。

その後6番までは影を潜めるが7番で再びグリーンの借景として現れ、9番のタフな打ち上げホールをプレーして振り返るとそこには絶景が。

インに入ると13番ではグリーン自体を甲山に模して造り、その向こうにリアルな甲山をダブルで見せるという遊び心のある演出を行っている。17番グリーンでの振り返りは大パノラマの甲山となり、成長した木でブラインドになってはいるが、18番も本来は甲山を目印に打ち下ろすホールだったはずだ。

こうして甲山をモチーフに使いながらデビュー作の那須ゴルフ倶楽部で用い高く評価されたテクニックをここでも使用。12番、14番に顕著だが、グリーンの後ろに連なる六甲山系の稜線とグリーンのラインをシンクロさせ印象的な景観を創り出している。

『このレイアウト以外に良案はない。』

コースとして使える敷地の狭さをどう克服したかだが、井上は最高のテクニックを駆使してその問題を解消している。たとえば用地を分断する仁川を超えて打つショットは4回で、7番と12番ではティーショットで一気に飛び越えさせる。どちらもティーイングエリアが狭くかなり緊迫感のあるショットではあるが、ランディングエリアは比較的広く逃げ道も作ってあるのでお手上げ状態にはならない。この2か所だけでもかなりの面積を稼いでいるといえよう。

そしてセカンドで仁川を超えていくのは5番と16番。ホールの真ん中で分断されているのでドライバーは使えないが、それを逆手にとって見た目のインパクトを強め、戦略的にはティーショットの使用クラブと距離のコントロールが重要なキーホールに仕立て上げている。このようにしてデッドスペースを作ることなく道路と川で分断された3つの地域を繋げているのは見事という他ないし、「根本の配置については私はこのレイアウト以外に良案はないと自負しています」と本人が胸を張るように、これしかないという完璧なルーティングなのである。12,13,14番が平行に並んでしまったことが心残りだったというが、それすらも上手く処理し単調さを感じさせないあたりは流石だ。

遅れて評価される1950年代の傑作。

見晴らしが良いというロケーションを存分に生かし、アウトコースは丘陵地の下側を使って変化を出しつつ、インコースは上側を使ってドラマティックな体験を演出している。1つの旅としてゴルファーの脳裏に刻まれる構成は完璧で、全体図を見ながら18ホールを辿っていくと、考え抜かれたルーティングに空恐ろしささえ感じるほどだ。潤沢な広さがあればこうはならなかったはずで、条件の悪さが尋常ならざる集中力を生み設計家の力量を体現するコースになったといえるだろう。

高低差を生かしてドラマを作る一方で「回りやすさ」を兼ね備えているところはメンバーシップコースの本懐で、このあたりのぬかりのなさも井上の真骨頂か。仁川が横切る5,7,13,16番がほどよいタイミングで現れるから、この4つのホールがアクセントとなって、メンバーは飽きずにプレーできているのではないだろうか。

評価が遅れたのは開場から一定期間、景観が整わなかったからで、焼け野原のような当時の写真を見るとそれも納得できる。しかし森が育つと様相は一変し、設計家の狙い通りのコースに成長したのだ。生活圏の近くにありつつも、旅に来たような非日常を感じる場所。自然を感じつつ、日々のプレーを楽しめる場所。それから競技の舞台としてのゲーム性。
メンバーとしてゴルフを楽しむために十分な要素を持つ西宮カントリー倶楽部。1950年代の作品群の中で独特の光を放っているし、今後それに気付く人たちも増えていくことだろう。

文:ゴルフライター 小林一人